エッセイ/紅月 | 連空間デザイン研究所

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0 0 9 p e n は 踊 る

正月も成人式が過ぎると、華やいだ気分も遠くなり、本格的な受験シーズンの到来です。

受験生の皆さんは大晦日に学習塾で行われる“受験勉強年越し”をされた方も多いのではないでしょうか。
塾経営陣のげん担ぎの意味合いもあるでしょうが、自ずと受験生の、そして塾全体の志気も高まるというものです。

さて、ここ数年の受験(特に大学受験)では、小論文の内容を重視する大学が増えてきていると聞きました。学力的な評価だけではなく、個々の人間性をそこから見ようという、大学側の思惑がありそうです。
さらに、就職試験となると、その色は一層濃くなります。面接の他にも、小論文を書かせる、グループワークをさせる等、試験の形態も多様化しています。
確かに、文章や言葉で自分の考えを表現するということは、なにがしかの自己が、そこに投影されるわけです。
入社して、一定期間の研修を終えれば、即戦力として動き、生産性を上げないといけないわけですから、企業側としては、文章や言葉からその人の人間力を見出そうとするのです。

ところが、突然書こうとしても書けないのが小論文なのです。
なぜ?それは、論理性のある文章を書き慣れていないからです。メールに論理性は必要ありませんから―。
なお且つ、読み手に伝わる文章でなければスルーされてしまいます。日ごろ、アピール度を上げている絵文字も、小論文には使えませんから―。

小論文が書けない理由の一つとして、メール(絵文字)の影響がありそうです。
メールは、その利便性は言うに及ばずですが、文字を綴るという側面からは、功罪相半ばです。
日ごろ、メールで絵文字を多用している人が、時間がなくて、文字だけのメールを送信したところ、受信者は、送信者は機嫌を悪くしている、何かあったのか?と気を揉んだという話を聞きました。
絵文字は、それを使用することによって、言葉をカジュアル化し、互いの親近感をアップさせます。しかし、必要以上にそうさせているとは言えないでしょうか?
絵文字は、送信者(書き手)の実際の状況を増幅させて、受信者(読み手)に送ってしまうこともあるのです。

しかし、小論文はそうはいきません。
お題をもらったら、それについて論理性を持たせつつ、読み手にんんっ!?と思わせる文章を書かないといけないのです。絵文字なしで―。

これは私の私見ですが、言葉は表現しなければ無駄なものだと思います。
それも、自分の言葉で、素直に表現することが第一ではないかと思います。
“自分の言葉で”というのは、“自分の体験に基づいた言葉で”という意味です。自分と同じ体験を読み手もしているとは限りません。そうではないことの方が多いのです。
しかし、自分の体験から出た言葉には、“説得力”という産物が付いてきます。
結局は、書き手の“体験に基づいた言葉”が、読み手の興味を喚起させ、その言葉の発する“説得力”が、読み手の心を動かすことになるのです。

ですから、お題をもらった時に、どれだけそれを自分の方へぐっと引き寄せることが出来るのか・・・そこがポイントだと思います。
ただ、それが出来るには、書き手の経験値がものをいうでしょう。
だから、日々をぼんやりと過ごしていてはいけないということでしょうか。絵文字に頼って、絵文字に助けてもらって、自分の気持ちを相手(読み手)に伝えているだけでは、“自分の言葉”は深まらないということです。
小論文について言えば、学術論文ではないのですから、自分の言葉で書き易いはずです。小さな論文ですから“びびる”必要はないのです。多少の論理性を持ち合わせていれば、そこに自分の体験を重ねて書き捲ればいいのです。
少し乱暴な表現ですが、この“書き捲る”感じが、もう一つのポイントのような気がします。
“書き捲る”わけですから、少なくともモタモタはしていません。そこにはスピード感があり、書き手の気持ちの高揚が存在するはずです。
そんな文章はきっと読み手にも伝わるものです。

因みに、私が以前職場で論文を提出した時、それを読んだ上司は、「きみの論文は面白すぎる!ただねぇ・・・これは論文だからねぇ、物語ではないんだから・・・でも面白いよねぇ・・・ブツブツ」と言っていました。
私は、その言葉を誉め言葉と解釈しました。

課題に対して論理性を保ちつつも、書き手の体験から出た言葉で、読み手にアピールする独自の文章で綴る―。
これが小論文の醍醐味かもしれません。


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北野天満宮(京都市上京区)
学問の神様、菅原道真公を祀る神社の宗祀。
菅原家は代々学問の家として有名だったが、道真は蔵人頭(天皇の秘書官)を経て、昌泰二年(899年)右大臣の要職に就き、卓越した政治手腕を発揮する。しかし、左大臣藤原時平らの策謀により、昌泰四年(901年)太宰権帥(だざいごんのそち)、すなわち大宰府の準長官に左遷され、そのわずか二年後、大宰府の配所にて無念のうちにその生涯を閉じた。
時代が下ると、道真は天神さまと呼ばれ、やがて学問の神様となり、現代の受験の神様としての天神さまがある。その天神さま、菅原道真を祀る神社が、現在全国各地にある「天満宮」である。

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北野天満宮境内のハガキの木(タラヨウ)
葉の裏側に傷をつけると、その部分が黒くなり文字が書ける。経文を書くのに用いたタラジュ(多羅樹)にあやかり、タラヨウ(多羅葉)とした。戦国時代には、武士が便りを書くのに利用しており、現代のハガキ(葉書)の語源となった。
郵政省では、このタラヨウを「郵便の木」に指定。宛名とお便りを書き、切手を貼ると、郵便として取り扱ってもらえる。

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“東風(こち)吹かば にほいおこせよ 梅の花 あるじなしとて 春な忘れそ”
道真は、出立を前に庭の梅の花を見て歌を詠む。この歌については、その梅の木が道真を慕って大宰府まで飛んでいったという「飛梅」(とびうめ)の故事とともに、よく知られている。
梅は古来より吉祥のしるしとされてきた。人生に何度か迎える受験。吉祥梅に願いを託し受験した後は、春の満開の桜を、清々しい気持ちで見上げることができるように祈りませう。